循環器内科不整脈|山根 禎一先生
面白がって仕事をする-不整脈治療の第一人者が語る、医師への道とアブレーションの最前線

心臓の中を走る「見えない電気の流れ」を追い、不整脈という難攻不落の病を治す。
そんな仕事を30年以上にわたって続けてきた医師がいます。
東京慈恵医科大学附属病院の山根禎一教授(以下、山根先生)。
循環器内科の中でも特殊な不整脈専門の領域で、フランス・ボルドー大学への留学を経て日本における心房細動アブレーション治療の礎を築いてこられました。今回は、医師を志したきっかけから、不整脈治療の最前線、そして若い世代へのメッセージまで、幅広くお話を伺いました。
父の「背中」が、医師への道を照らした

FOLK:
医師を目指されたきっかけを教えていただけますか。
父親が医師でしたので、将来の職業としての医師ということは、かなり早いうちから意識はしていました。実際に決めたのは高3の受験の頃でした。勤務医だった父を見て育ちましたので、人のためになるような職業に就きたいという気持ちは、小学生や中学生の頃から意識していたと思います。
FOLK:
お父様から何か心に残る言葉はありましたか。
言葉で何かということはあまり覚えていないのですが、後ろ姿でしょうか。
よく夜中に呼び出されていましたし、大晦日にみんなで過ごそうというときに呼び出されてしまったり。一般内科でしたので、そういうことは多かったと思います。大変だとは思いましたけれど、人の役に立っているということはとても身近に、肌で感じましたし、そういう類の職業を目指してみたいという気持ちは早いうちからあったんだと思いますね。
「目には見えない電気の流れ」に魅せられた
FOLK:
循環器内科、そして不整脈という専門領域を選ばれた経緯を聞かせてください。
循環器は学生のときから意識していました。
動きのある臓器で、ほかの臓器とは大きく違うわけです。常に動いていないといけないわけですから。
そういう意味で、的確かつ迅速な判断が要求される科でもありましたし、学生のときから意識していました。
1986年に浜松医科大学を卒業後、最初は一般病院でジェネラリストを目指してなんでもやる研修を5年ほど経験しました。その中で循環器内科を専門として選ぶことになりました。

FOLK:
循環器の中でも、不整脈という分野に絞られていったのはなぜでしょうか。
循環器の中で最も王道と言われるのは冠動脈疾患です。狭心症や心筋梗塞といった、心臓の血管が詰まってしまうもの。それは1番待ったなしの病気ですし、病院の中でも花形という科です。
それも経験していたんですが、私は最終的に不整脈疾患のマネジメントと治療に非常に心惹かれまして、最終的にそちらに進むことになりました。
冠動脈疾患というのは基本的に目で見えるものなんですよね。造影剤を入れてここが詰まっている、そこを開くという、そういう病気であり治療です。一方で不整脈は、心臓の中の目には見えない電気の流れを追っていくもんですから、よりマニアックな世界だと言われています。
FOLK:
そのマニアックさに魅力を感じられたんですね。
そうなんです。多くの人はなかなか理解できないことでも、少し分かってくるとおもしろく感じられました。
自分はその特別感に非常に惹かれました。
1998年の世界的発表、そして「難攻不落」の心房細動への挑戦
FOLK:
1995年に土浦協同病院循環器センターへ移られましたね。
そこではどんな治療が始まっていたのでしょうか。
不整脈の治療は、アブレーションが始まる前は薬を投与するしかなかったんです。
患者さんに薬を注射なり飲んでもらうなど、内科的に穏やかな治療しか方法がなかったわけです。それが、心臓の中にカテーテルを入れてその原因の場所を焼いて治すというアブレーション治療が始まって。もうそれで長い間困っていた患者さんが根治することができる。それは夢のような治療でした。
日本でその治療を最初に始めたのが、土浦協同病院の家坂先生で、そこでトレーニングしました。

FOLK:
それが後のフランス留学にもつながっていくわけですね。
そうなんです。私の専門でもある心房細動という不整脈は、なかなか難攻不落でした。どこか1か所の治療ということで完治できるような単純なものじゃなかった。心房の中で電気が暴れ回っているようなもので、目に見える原因を特定すれば、攻略できるものではなかったんです。
それを世界で初めて攻略に成功したのが、フランスのボルドー大学のミッシェル・ハイサゲル先生です。
1998年に世界的に発表され、私は1999年から留学に行くことができました。家坂先生の紹介でしたが、それが自分の中でも大きな転機となりました。2年間ボルドーに行って、このチームに入り、一緒に仕事をしました。
1人から始まったチーム、25年で慈恵の4病院に広がる
FOLK:
2001年に帰国されて慈恵医大に戻られてから、チームはどのように育っていったのでしょうか。
私が25年前にフランスから帰ってきて日本で治療を始めたとき、サポートはあったものの、1人で始めたという形でした。そこにだんだんと人が集まってくれて、徐々にチームになっていき、できることも多くなってきました。
慈恵会は病院が4つあり、それぞれに不整脈の特別なチームを今は作って、こちらから派遣してそれぞれのところでアブレーション手術を行う、そんな体制です。
「面白がって仕事をしないとダメ」
――若い医師たちへのメッセージ
FOLK:
多くの若い医師を育ててこられた山根先生が、必ず伝えることとは何でしょうか。
私がいつも思っていることは、「面白がって仕事をしないとダメだからね」ということです。
楽しく、ではないんです。面白がってです。
自分で何が面白いのかを見つけながら面白がって仕事しないと。するとなんか面白いこと見つかってきますから、だんだんね。
専門性のある医療、そして大学病院だと、業績を出していくということはとても大切なんです。患者さんを治療し、その中から何か新しいものを見つけて論文にし、世界に発信していくということです。毎日の忙しい手術や患者さんのマネジメントを行いながら、その中から何か面白いことを見つけていく。面白がっていかないとね。
FOLK:
最初からそれができる方はなかなかいないと思うのですが。
そうなんです。まず与えられたミッションに対応して、次に自分なりの発見をしたり、興味があることを突き詰めていく。そのような中で若い人たちがどんどん成長し、学会でも知られた存在になり、よりチームが大きくなっていくという形が理想ですね。
心房細動は「進行性」の病気
――早期発見・早期受診のすすめ
FOLK:
一般の方に向けて、心房細動という不整脈についてぜひ教えてください。
心房細動という不整脈は進行性の病気なんです。不整脈の中での特徴としては1番頻度が高い。そして1番大きな原因は加齢です。加齢で出てくるものですから、誰だって出てくるかもしれない。全員に出るわけじゃないですけれども、誰もが自分はそれが出るかもしれないと思っていなきゃいけないんです。
そして進行性なので、出てきたら早期発見・早期治療というのが非常に大切です。そのままにして時間が経ってしまうと、どんどん治りにくくなっていく。

FOLK:
症状のない方はどうすればよいのでしょうか。
症状の強い人は自分から病院に来てくれるので早めに発見されるんですが、症状のない人は出てきたことも全然分からないということになってしまうんですね。健康診断で見つかったときにはちょっと遅い、時間が経っていることが多いんです。
ですから、時々自分で脈を取って、脈が乱れていないかどうかをチェックしたほうがいいですよ。それを自己検脈というんですが、今はもうスマートウォッチでできる時代です。
私たちはデジタル検脈と呼んでいます。
デジタル心電計で定期的に自分の脈をチェックし、何かおかしければ早めに専門施設に行くのがいいですよ、とお話しています。やっぱり自分の身は自分で守るということ、それはとても大切なんですよ。
カテーテル不要の時代が来る
――アブレーション治療の未来
FOLK:
この25年間で、治療の技術は大きく変わってきたのでしょうか。
本当にいろいろな大きな進歩がありました。特にこの2年ほどで、また日本にも非常に新しい治療が導入されてきています。それがパルスフィールドです。以前は熱を使って標的のところを焼く、あるいは凍らせるクライオバルーンアブレーションという方法がありましたが、いずれも熱でした。この2年前から、熱を使わずに心臓の中の原因となっている標的のところを処置するという治療法が出てきたんです。これは大きなイノベーション、技術革新でした。

FOLK:
さらにその先の未来はどのように見ていらっしゃいますか。
私は、今後10年、15年という中で、カテーテルを血管から入れる必要もなくなるんじゃないかと思っているんですよね。つまり外から安全に、体への負担が少ない低侵襲の治療法がさらに進むんじゃないかと思っています。本当に夢のような治療になってくる。入院も必要なくなるかもしれないですね。医療はどんどん変わってきているんです。
専門施設できちんと相談を
――迷子にならないために
FOLK:
最後に、不整脈で悩んでいる患者さんや、受診を迷っている方へひとことお願いします。
それぞれの患者さんにとっての本当に適した治療というものがあるので、よく相談の上で決めていかなきゃいけない。やっぱり専門施設できちんと相談されることはおすすめしますね。最初のスタートが正しくないと迷子になってしまうんですよ。そういう方は割といらっしゃいます。医学は進んでいますので、それぞれの専門分野での最先端の治療というものを、1度はきちんとお話を聞いていただくことは大切なことじゃないかと思います。
今年の春に65歳で定年を迎えた山根先生ですが、今も治療を続け、後進の指導にあたっています。
「また面白いこと見つけてね」
――その言葉には30年以上医療の最前線を走り続けてきた医師の本物の熱量が宿っていました。

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