脳神経内科医|木村和美先生
治療革命の最前線から、次代の医療者へ贈る言葉

かつて「治らない病気」の代名詞であった脳卒中。しかし、この数十年でその常識は覆されました。劇的な回復をもたらす「t-PA静注療法」、そして「機械的血栓回収療法」。 これらの治療革命の夜明け前から現場に立ち、日本の脳卒中医療を変革し続けてきたのが、木村和美先生です。
国立循環器病センターでの衝撃的な体験、失われた10年を取り戻すための奮闘、そして世界的権威ある医学誌『JAMA』への論文掲載。 日本の脳卒中医療を牽引してきたトップランナーが語る、医師としての「原点」と「未来」、そしてプロフェッショナルとしての「流儀」とは。
医学への道、そして運命を変えた「二人の恩師」との出会い

私が医師を志した理由を聞かれると、崇高な動機をお話しできれば良いのですが、実際は少し違います。私は鹿児島県のラ・サール高校の出身なのですが、当時は「理系は、医学部に進む人が多く、私も医学部に行こう」と思い、出身地である熊本大学医学部へと進んだ、というのが正直なところです。
しかし、その流れの先で、私の医師としての人生を決定づける素晴らしい恩師たちに出会うことができました。 一人は、熊本大学第一内科に入局した当時の教授、荒木 淑郎(あらき しゅくろう)先生。そしてもう一人は、レジデントとして赴任した国立循環器病センター(国循)の部長、山口 武典(やまぐち たけのり)先生です。
無力感から「奇跡」へ。t-PA治療、衝撃の第一例目

私が医師になったばかりの頃、脳梗塞の治療手段は非常に限られていました。ヘパリンやウロキナーゼといった薬はありましたが、効果は不十分。目の前で患者さんが脳ヘルニアを起こし、多くの患者さんが亡くなられていく現場を目の当たりにし、医師として「何かできることはないのか」と無力感を感じ自問する日々が続いていました。
転機が訪れたのは、国循にいた時期のことです。
山口武典先生の主導で、世界に先駆けて「rt-PA静注療法(血栓溶解療法)」の治験が始まりました。その記念すべき第一例目の治療を担当したのが、私だったのです。
患者さんは左中大脳動脈閉塞。重篤な状態でした。しかし、rt-PAを投与したところ、なんと1時間以内に意識障害や失語、右片麻痺が劇的に改善したのです。昨日まで「治らない」とされていた患者さんが、後遺症もなく退院されていく。その時の一生忘れられない感動は、今でも鮮明に覚えています。しかし、日本の医療はここで足踏みをします。特許の問題などで、この画期的な薬が日本で認可されたのは2005年。世界標準から実に10年もの遅れ(ドラッグ・ラグ)が生じてしまったのです。この「空白の10年」は、日本の患者さんにとっても、我々研究者にとっても大きな損失でした。だからこそ、認可後は「失われた時間を取り戻す」という執念で、適正使用の普及や研究に没頭しました。
エビデンスを世界へ。「SKIP研究」と救急搬送改革

2015年には、カテーテルで直接血栓を取り除く「機械的血栓回収療法」が登場し、脳卒中治療は再び革命期を迎えました。これにより、9割以上の確率で詰まっている血管を再開通させることが可能になり、時には重症患者さんが歩いて帰れる時代が到来したのです。
私は、この新しい治療法においても「エビデンス(科学的根拠)」を確立することにこだわりました。「血栓回収療法を行う際、従来のt-PA投与は必須なのか?」という疑問に対し、ランダム化比較試験(SKIP研究)を実施。その成果は世界的な医学誌『JAMA』に掲載され、世界の治療ガイドラインに影響を与えることができました。
また、「Time is Brain(時は脳なり)」と言われるように、脳卒中は1分1秒を争います。良い治療法があっても、患者さんが病院に辿り着かなければ意味がありません。
川崎医科大学時代、私は倉敷で救急隊と病院の連携システムを刷新しました。そこで考案した「倉敷プレホスピタル脳卒中スケール(KPSS)」や、後の「ELVO screen」といった評価ツールは、今では日本の多くの地域の救急隊によって使われています。 研究室の中だけでなく、地域医療の現場を変えること。これもまた、「脳卒中を制圧する」ための重要な闘いでした。
東京での挑戦。
2014年からは日本医科大学の大学院教授として、東京の医療体制構築に挑みました。 世界的な大都市でありながら、当時の東京の脳卒中救急体制は不十分でした。私は東京都・東京都医師会と協力し、「東京脳卒中・心臓病等総合支援センター」のセンター長として、病院間のネットワーク強化に奔走しました。 組織の壁を越えてシステムを作ることは容易ではありませんでしたが、結果として日本医科大学は都内トップクラスの脳卒中患者の搬入受入数を誇るまでになりました。
次世代のリーダーたちへ

1988年、国循のレジデントとなった私の胸に深く刻まれた言葉があります。
それは当時、尾前照雄先生(おまえ てるお=国立循環器病研究センター名誉総長)から言われた「日本の循環器病を制圧しなさい。あなたたちの時間は患者様のためにある」という言葉でした。この言葉が、その後の私の医師人生の羅針盤となったのです。
今の時代、ワークライフバランスを重視する傾向にありますし、それは大切なことです。
しかし、どんなに時代が変わっても、一所懸命に患者さんに向き合う、責任を持って取り組む、ということはすべての医師に大切なことだと思います。
ユニフォームという「スイッチ」、そして尽きない情熱
私にとってユニフォーム(白衣・スクラブ)は、医師への切り替えスイッチです。
正直に言えば、私自身は根っからの仕事人間です(笑)。家に帰っても、お風呂に入っていても、頭の中では、患者さんことや次の研究のことを考えています。 妻と行く温泉旅行が数少ない息抜きですが、湯に浸かってリフレッシュした次の瞬間には「よし、また頑張ろう」と仕事モードのスイッチが入ってしまう。結局、それが私の生き方なのでしょう。
2025年4月からは、母校である熊本大学に戻り、特任教授を務めています。 育ててくれた熊本の地で、これまでの経験を還元し、後進を育てていく。これからも、その情熱の火を絶やすことなく、走り続けていきたいと思います。
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