美容外科医|鎌倉 達郎先生
美容外科医は「職人」正解がない世界で、質を担保するということ
手術がしたかった。心臓外科への憧れから始まった、美容外科医への道

私が医師としてのキャリアを歩み始めたのは1989年。当初は外科医、それも心臓外科医を目指していました。しかし、ある出会いをきっかけに美容医療の世界に足を踏み入れ、以来、この分野の可能性と奥深さに魅了され続けています。
美容医療は、患者様の人生に深く関わる、責任の重い仕事です。
だからこそ、私たちは常に最高の質を追求しなければなりません。
そもそも私は、学生時代から外科系に進むと決めていました。中でも憧れていたのが心臓外科です。3人兄弟の末っ子である私には姉が2人いるのですが、2番目の姉の夫が心臓外科医で、その話を聞くうちに「かっこいいな」と惹かれていきました。
6年生の時、その義兄に「心臓外科に行きたい」と相談したところ、「本当に手術がしたいなら、一般外科のほうがいい」とアドバイスを受けました。心臓外科で執刀医になれるのは10年以上先。それならば、若いうちから多くの手術を経験できる一般外科へ進もうと決意し、九州大学の第二外科に入局しました。
美容外科との出会いは、医師になって2年目の1990年です。医局の7年先輩が福岡のクリニックで手術をされるというので、見学に誘われました。「なんだろう、おもしろいな」と軽い気持ちで足を運んだのですが、そこで見た光景に衝撃を受けました。
とにかく、手術がしたかった。その一心で外科医になった私にとって、美容外科の手術は非常に魅力的に映りました。すぐさまその世界に飛び込みたいと思いましたが、研修医終了時の教授面談で「まだ だめだ」と。一度は諦めかけましたが、その2週間後、先輩から「大塚美容外科に空きが出たけど来るか」と電話があったのです。
しかし、私は教授に「頑張ります」と伝えたばかり。「もう言ってしまったので、無理です」と断りました。あの時、もし違う選択をしていたら、また別の人生があったかもしれません。
結局、そこからさらに4年間、一般外科医として腕を磨きました。研修医2年目で美容外科に出会ってから、実に4年の月日を経て、ようやくこの世界に入ることができたのです。ある意味、我慢して我慢して、ようやくたどり着いた場所でした。「ついにやりたいものに出会えた」という思いは、今でも鮮明に覚えています。振り返れば、あの時すぐに飛び込まず、外科医としての基礎を固める時間があったことは、結果的に正解だったと感じています。
美容外科医は「職人」
正解がない世界で、質を担保するということ

美容外科は、結果が目に見えるからこそ、ごまかしが効かない世界です。私は、外科医とは「職人」であると考えています。一人前の職人になるためには、まず圧倒的な「経験数」が必要です。
そしてもう一つ、それと同じくらい重要なのが「修正能力」です。
例えば一般外科では、胃がんや大腸がんなど、病気に対してある程度定型的な手術方法が決まっています。それをいかに正確に、短時間で、合併症なく行うかが問われます。
しかし美容医療は全く異なります。患者様の訴えは「年を取ったのが嫌だ」という漠然としたものであっても、その原因はシワ、たるみ、シミ、肌理、顔の形など多岐にわたります。治療法は一つではなく、時には4つも5つも組み合わせる必要があります。
さらに、ゴールも患者様によって様々です。がんの手術であれば、がんを完全に取り切ることが絶対的な正解です。しかし、たるみ治療では「がっつり取ってほしい」という方もいれば、「周りに気づかれないくらい、自然にしてほしい」という方もいる。そこに絶対的な正解はありません。
だからこそ、私たちは患者様一人ひとりのご希望に、自らの技量と結果を合わせていかなければならないのです。手術一つとっても、まぶたの厚み、脂肪の量、皮膚の状態、目を開ける力は人それぞれ。術前にある程度の予測は立てますが、実際に手術を進める中で「あれ、これ違うぞ」と感じることは少なくありません。その場で状況を判断し、プランを修正していく対応能力、つまり「修正能力」が求められます。
経験を積めば修正能力は上がっていきますが、そこから先は「センス」も必要になってきます。これをこうすればこうなる、という予測を立て、実現していく力。美容外科医には、そうした芸術的な側面も求められる、非常に奥深い世界なのです。
「目の届く範囲」を維持する
組織として医療の質を追求する経営

私は聖心美容クリニックに来る前、全国に多くの分院を持つ大手クリニックで5年間働いていました。そこでの経験から、大きな組織のメリットも十分に理解しています。しかし、聖心のトップとして運営に携わるようになった時、私が最も強く意識したのは「医療の質を絶対に担保する」ということでした。
そのためには、むやみな多店舗展開はしない。自分たちの「目の届く範囲」で、一つひとつのクリニックの質を高めていく。それが私たちの選択でした。
大きな組織では、医師が一つの手術を終えると、すぐに次のクリニックへ移動するということが往々にしてあります。そうすると、自分が担当した患者様のその後の経過を見ることができません。

私たちは、医師がカウンセリングから手術、そして術後のフォローまで一貫して患者様と向き合うことを基本としています。それが質の担保につながると信じているからです。現在、国内に10院を展開していますが、この規模だからこそ、何か問題が起きた際に必ず私の耳に報告が上がってきます。そして、担当したドクターと「この場合はどうすれば良かったか」を直接ディスカッションすることができる。この距離感が、組織全体の質を維持する上で非常に重要だと考えています。
これはドクターだけでなく、看護師の施術においても同様です。最近は看護師がレーザー脱毛などを行う機会も増えていますが、うまくいかないことがあればすぐに情報が共有され、ドクターも交えて対策を話し合うことができます。スタッフの顔と名前がある程度一致し、一人ひとりの状況を把握できる。この規模感を、これからも大切にしていきたいと思っています。
役職の壁を作らない
勉強会を通じたコミュニケーションと組織全体のレベルアップ
スタッフとのコミュニケーションで心がけているのは、役職による壁を作らないことです。
そのための取り組みの一つが、私が各院を訪問する際に行う勉強会です。
勉強会のテーマは、キャリア2、3年目の若手スタッフに決めてもらいます。彼らからチャットで「これについて教えてほしい」とリクエストが来て、それに応える形で私が話をする。そうすることで、統括院長という立場の私と若手スタッフが、ごく自然に会話する機会が生まれます。
日頃からそうした関係性を築いておくことで、彼らも臆することなく質問や相談をしてくれるようになります。

また、同じグループ内でも、院やドクターによって少しずつやり方が違うことがあります。SNSで他の院の症例写真を見て、「あの先生はどうやっているんだろう」と疑問に思うスタッフもいます。そうした情報の偏りをなくし、グループ全体の知識や技術を高いレベルで均一化していくことも、この勉強会の大きな目的です。これもまた、今の組織規模だからこそできる、私たちの強みだと感じています。

スクラブは「戦闘服」
プロフェッショナルとしての装いと心構え
私は、患者様とのコミュニケーションにおいて、何よりも「話しやすい雰囲気づくり」を大切にしています。特に初対面のカウンセリングでは、多くの方が緊張されています。その緊張を解きほぐし、相手の方から自然な笑顔を引き出すこと。それができて初めて、本当のお悩みやご希望を伺うことができると考えています。
そのために、装いにも気を配っています。私にとって、スクラブは単なる仕事着ではありません。外科医としてのスイッチを入れるための「戦闘服」です。もともと外科医だった頃、普段はケーシー(白衣の一種)で過ごし、オペ室に入るときに初めてスクラブに着替えていました。「これから戦いに行くぞ」という、気持ちの切り替えの儀式のようなものです。
今ではカウンセリングからスクラブを着ることが当たり前になりましたが、その意識は変わりません。出張で各院を回り、手術の予定が全くない日でも、クリニックに入ったら必ずスクラブに着替えます。それが、私にとっての仕事モードの証なのです。

一方で、カウンセリングの際にドクターコート(白衣)は基本的に着ません。白衣は時として患者様に威圧感を与えてしまうことがあるからです。
ちなみに、昔は外科医の象徴である緑色のスクラブを好んで着ていたのですが、ある時、若いスタッフに「黒や紺のほうが若く見えますよ」と言われて(笑)。それ以来、すっかり今のスタイルが定着しました。患者様と向き合う美容医療の現場では、そうした審美的な視点も大切なのかもしれませんね。

美容医療を取り巻く環境は、教育、製品、そしてモラルの面で多くの課題を抱えています。
大学で専門的な教育を受けることが難しい現状では、私たちのような現場のクリニックや学会が、業界全体のスタンダードを創り、次世代を育てていく役割を担っていかなければなりません。
これからも、一人ひとりの患者様と真摯に向き合い、質の高い医療を提供し続けること。
それが、この道を歩む私の使命だと考えています。

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