「医療の現場が、世界とつながっている」国境なき医師団日本 会長・中嶋優子氏に聞く、命の最前線と証言の力

「医療の現場が、世界とつながっている」
――国境なき医師団日本 会長・中嶋優子氏に聞く、命の最前線と証言の力
フォーク株式会社は、2011年より国境なき医師団への支援を続けてきました。
今回、フォーク株式会社代表取締役・小谷野が、国境なき医師団日本会長の中嶋優子氏(救急医・麻酔科医)に、現場の体験、証言活動の意義、そして若い世代へのメッセージを直接伺いました。


小谷野
中嶋会長が国境なき医師団に初めて参加された際の、
印象深いエピソードをお聞かせください。

初めて参加したのは2010年のナイジェリアのポート・ハーコートという場所にある、外傷の割合が多い、クリニックでした。
印象に残っているのは、国境なき医師団の病院が武装を一切していなかったことです。ナタによる傷や銃による傷が多い、危険な地域だったにもかかわらず、自分たちを守るための武器は持たない。
大丈夫なのかなと思ったのですが、国境なき医師団のロゴが私たちを守ってくれているという実感がありました。周りで紛争を起こしている人たちも、国境なき医師団はひたすら医療だけを中立的に、公平に行っているということを知っていて、このロゴがあれば危ない目に遭わないということが、現実としてあったんですね。


小谷野
国境なき医師団のロゴへの信頼は、他国でも同じでしたか。
中嶋
はい、同じでした。イエメンなどでは建物の上にこのロゴを大きく掲示したり、あらゆる場所でこのロゴを掲げて、両方の勢力から攻撃されないようにしています。みんな誇りを持ってこのロゴを付けている、そういう感じです。

ガザで気づいた、証言活動の重み

小谷野
国境なき医師団は医療・人道活動だけでなく、現場で目の当たりにした人道危機を世界に伝える証言活動も大切にされていますね。中嶋会長が現場に立たれた際、この二つの活動がどのように結びついていると実感されましたか。
中嶋
一番強く感じたのは、2023年に行ったガザです。医療だけでは救えない命があることを身に染みて実感しました。
大元の戦争を止めてもらわないと、こちらはいくらやっても追いつかない。そういう感覚がずっとありました。
元々、国境なき医師団は証言活動も多くの活動地において行っているのですが、ガザで改めて、医療だけでは足りないのだということを実感しました。
だからこそ、ガザに入った人たちはみんな、それぞれ自分の国に帰って証言活動をしています。自分のホームの人たちに知ってもらうという活動が、本当に大事だと改めて感じたのはそのときでした。
小谷野
ガザは、これまでの派遣の中でも特に過酷だったのでしょうか。
中嶋
今まで私が体験した中でもっとも酷い状況でした。私だけでなく、一緒に入ったチームメンバーも、それなりに何回も活動地に行った経験があり、自分たちはタフだと自認しているメンバーが入ったのですが、みんな口を揃えて、「これはレベルが違う」と言っていました。
数か月でこの惨状は終わるのではないかと思っていたのですが、こんなに続くとは思いもよらなかった。
小谷野
ガザではロゴによる保護も、いつもとは違う状況だったのでしょうか。
中嶋
そうですね。普段はロゴが守ってくれているという実感があるのですが、ガザでは国境なき医師団のロゴが付いた車やクリニック、医療活動そのものが攻撃されています。

小谷野
そうした証言活動が成り立つのは、活動資金の独立性があってこそ、ということでしょうか。
中嶋
そうなんです。政治や経済、宗教などの事情と紐づいていない、独立した活動資金があってこそできることなんです。1971年に国境なき医師団を設立した方たちは、医療・人道援助に政治・経済などの事情が絡むことは良くない、ということを知ったうえで、そういう考え方を掲げて設立した。本当にすごいと思います。
無力感の中での、小さな喜び

小谷野
国境なき医師団で活動するメンバーの方々が、
「国境を越えて」支援に向かう、一番の原動力は何でしょうか。
中嶋
正直自分個人のことしか分からないのですが、たとえばガザで活動した際は、「このために医者になったんだ」という思いがありました。ガザに入る前に何度も確認されるんですよ。「本当に入りますか、危ないですよ、覚悟はできていますか」と。
それでも、みんな決意が固くて。学校をしばらく休学して行くとか、仕事をクビになってもいいから行くとか、そんな決意をした人たちばかりでした。
特別な理由ではなく、本能的なものかもしれないです。みんな、そんな感じでしたね。
小谷野
実際にガザの国境をやっと越えられたときは、どんな感情でしたか。
中嶋
なかなか国境を越えられなくて、2週間足止めされていたんですね。やっと入れたときのみんなの喜びようといったらすごかった。死ぬかもしれない、殺されるかもしれないところに行くのに、ものすごくみんな喜んでいた。「やっと、やっとこれで入れる」という感じで。
普通じゃないなとはちょっと思いましたけど、現場に入りたくて仕方がないんですよね。

小谷野
現場でモチベーションを維持するための工夫はあったのでしょうか。
中嶋
工夫、というほどのものはないのですが、それぞれのメンバーが小さな楽しみをお互いに持ち寄っている、という感じ。避難してきた子どもたちと交流することも楽しかったし。また、個人の持ち物を少なくしなければならないため、少しのお菓子を大切に持ってきて、仲間の誕生日に飴ちゃんを分け合っていたこともありました。もう豪華デザートみたいな感じで。そんな、小さな喜びをみんなで分け合っていた状況でした。でも、いよいよ状況がひっ迫し、ガザを出ることになりました。

小谷野
出るときの心境はどのようなものでしたか。
中嶋
複雑でした。休みなく働いているとはいっても、私たちは1か月弱で出られる。
それでも、残っているスタッフたちは、いっぱいいっぱいで疲れているのに、ずっと働き続けている。
全体の8割くらいが現地スタッフなんです。
彼ら自身も家族を亡くし、食べ物も無い中、病院に避難して暮らしながら患者さんを治療している。
どんなに心身の疲れがたまっていても出口がない…
私たちと違って。そこがすごく複雑で。だからその分、それぞれの国に帰り、証言活動を頑張りました。
「世界は、思っているより身近だ」――若い世代へのメッセージ

小谷野
中嶋会長は日本国内において、国境なき医師団の活動や世界の現状に関心を持ってもらうためにどのような活動をされていらっしゃいますか。
中嶋
人道援助とか世界で起きている人道危機って、かつての自分もそうだったのですが、すごく遠いところで起きているような、人ごとのような感じってどうしてもあると思うんです。
そこで、自分とさほど変わりない普通の日本人が、行って帰ってきて、見てきました、という話を伝えていければいいなと思っています。草の根的に、「日本人があんなところに行っているって、本当なんだ」と少し近くに感じてくれれば、うれしいなと思っています。自分ごとにしてもらいたいです。
小谷野
今後、さらに取り組んでいきたいことはありますか。
中嶋
個人的な目標としては、国境なき医師団日本の発信力・発言力を高めることですね。国境なき医師団全体の中で、アジア太平洋は事務局が少なくて。歴史的にヨーロッパが発祥で、アフリカや中東に活動現場が多い。だからこそ、アジア太平洋の声や人道危機の現実を、私たちこそがもっと世界中に届けなくてはという使命を感じています。
そこを補う存在になれたらいいなと思っています。

小谷野
最後に、未来を担う若い世代へのメッセージをお願いできますか。
中嶋
あまり偉そうなことは言えないんですよね。
私が救急医になりたいと思ったのも、国境なき医師団に飛び込んだのだって、最初は本能的に「かっこいい」と思ったから。やってみたら、チームの一員として、誇りとやりがいを持って活動できる場所になりました。
だから、根拠のない自信と度胸でもいい。
やりたいと思ったら、興味があると思ったら行くとか、どんどん挑戦して欲しいです。
失敗しても巻き返しが利くし、自分のことなんて誰もあまり気にしていないので。臆することなく、細かいことを気にしないで、気になったらやってみてほしい。
自意識を少し脇に置いて、「失敗したらだめなんじゃないか」みたいなのはなしに、ぜひ行ってほしいです。
世界は、思っているより身近だということを感じてもらいたいです。
みんな同じで、みんな近いんだということを。

小谷野
本日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
フォーク株式会社としても、2011年より15年にわたり支援を続けてまいりましたが、今後も20年、30年と活動に貢献できるよう取り組んでまいりたいと思います。
中嶋
ありがとうございます。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

様々な支援の形

国境なき医師団について

国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、民間で非営利の医療・人道援助団体です。紛争や自然災害、貧困などにより危機に直面する人びとに、独立・中立・公平な立場で緊急医療援助を届けています。
医療援助と同時に、現地で目の当たりにした人道危機を社会に訴える「証言活動」も国境なき医師団の使命です。
1971年にフランスで設立し、1992年には日本事務局が発足。1999年には活動の実績が認められノーベル平和賞を受賞しました。

国境なき医師団(MSF)日本 会長
救急医・麻酔科医
中嶋 優子(なかじま・ゆうこ)
【略歴】
2009年に国境なき医師団(MSF)に登録。以降9回の海外派遣活動に参加。2022年3月よりMSF日本会長を務める。日本で麻酔科医として勤務後、渡米し米国救急専門医取得。現在エモリー大学救急部准教授およびメトロアトランタ救急搬送サービスメディカルディレクターを兼任。2017年に日本人初の米国EMS(プレホスピタル)・災害医療専門医を取得。
MSF活動歴
ナイジェリア 2010年4月~5月
パキスタン 2012年11月~12月
シリア(西部) 2013年7月~8月
南スーダン 2014年7月
イエメン 2015年8月~9月
シリア(東部)2018年1月~2月
イラク 2022年2月〜3月
パレスチナ・ガザ地区2023年11月~12月
シリア2025年2月~3月

